出典:https://twitter.com/daigothebeastjp
eスポーツの世界で活躍し、格闘ゲーム界のカリスマとして18年間トップに立ち続ける、プロゲーマー『ウメハラ(梅原大吾)』を皆さんはご存知でしょうか?
そもそもeスポーツとは、「エレクトロニック・スポーツ」の略で、ゲームを使った対戦でありながら、スポーツ競技として捉える際の名称です。
日本は、世界ではeスポーツ後進国ですが、中にはeスポーツの賞金により生活する、プロゲーマーと呼ばれる人々も存在します。今回は、日本では数少ないトッププロゲーマーに数えられ、「生ける伝説」とも称されるウメハラを紹介していきます。
ウメハラはどんな生い立ち?どのようなプレイスタイル?
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ウメハラは格闘ゲームに関するプロゲーマー。格闘ゲームの中でもカプコン制作で、2D対戦型の作品で、数多くの大会で輝かしい成績を残し続けています。
日本、いや世界を見渡しても最高のプロゲーマーと称されており、Red Bull、HyperX、Cygames、NSURGOといった有名企業からスポンサードされ続けるなど、プロ格闘ゲーマーとしては異色の存在と言えます。
趣味は麻雀や散歩、読書などです。後述ですが、散歩はウメハラにとって欠かせないルーティンの一つともなっています。
eスポーツ界でウメハラが果たした役割はとてつもなく大きく、そもそも、プロゲーマーという名を日本に知らしめたのも彼の功績によるところが大半です。まさにパイオニアとも呼べる存在で、現在でも日本のプロゲーマーの多くはウメハラを見て後を追っていると言っても過言ではありません。
ウメハラは10歳のときに格闘ゲームを開始。12歳のときに初めて大会に参加し、2回戦で負けたことが悔しかったために、大会にはひたすら参加するようになったと明かしています。それから12歳の頃にはすでにゲーマーの中ではトップレベルに到達。都内のゲームセンターで著名な存在となっていました。1997年にはヴァンパイアセイヴァーの全国大会で優勝を経験。その決勝では、これから先ライバルとなる大貫晋也を撃破しています。当時、カプコンの開発本部長であった岡本吉起は驚きとともに「10年に一人の天才」と称賛したことはあまりにも有名です。
このようにウメハラが少年時代からゲームに熱中できた背景には父の存在が大きかったようです。また、ウメハラには姉もいます。
高校を卒業してからはフリーターに。アルバイトなどをしつつ、ゲームセンターに通い、ひたすら格闘ゲームの腕に磨きをかけていました。当時は飲食店やビラ配り、イベント設営など様々なバイトに明け暮れ、アルバイト情報誌でバイトを探すのが日課となっていたようです。
しかし、当時していたイタリアンレストランでバイトの同僚たちが同時期に就職したことで、一度ゲーマーの世界からは離れています。そこで見つけた先が雀荘でした。
プロ雀士を目指しながら、雀荘で働いていたウメハラ。しかし、勝負の世界での厳しさを間近で見て、さらにプロになってもなかなか生活していくことが難しいということを知り、麻雀の道も諦めます。そこには麻雀のゲーム性の乏しさ、つまり遊び心が結果に影響しづらいということも意欲の減退につながったと後に話しています。
「競争が嫌い」と意外なことも明かしたウメハラはその後、介護の世界で手に職をつけます。両親が医療関係で働いていたこともあり、介護職に対してある種の「安心感」があったようです。加えて介護の世界では当然対抗することや競争などもなかったことが選ぶきっかけともなりました。
しかし、友人にゲームセンターへ連れられたことがきっかけで再びゲーマーの世界に。当時は「ストリートファイターⅣ」を稼働した頃で、自らの類まれなゲームスキルに改めて気付かされ、復帰を決断することとなりました。当時、ウメハラの復帰はゲーム界を大いに騒がせ、様々なイベントや大会などに招待されることとなりました。
若かりし頃のウメハラは不遜な言動や卑屈な態度も目立っていましたが、この復帰後は一気に大人の対応が目立つように。プロゲーマーの第一人者であり、レジェンドとしての自覚を持ったことが要因だったようです。
その後、『闘劇』や『Evolution』など国内外の大会で優勝を経験。2010年にはアメリカの周辺機器メーカーである『Mad Catz』とスポンサー契約を結び、晴れてプロゲーマーとなりました。このウメハラのプロ化を機に、日本のゲーマーたちのプロゲーマーへの道が開かれることとなり、後輩プレイヤーである「ときど」や「sako」などがその恩恵を受けました。
プロゲーマーとなってからも大会に出続け、中でも『ストリートファイター』シリーズで強さを発揮。幾度となくタイトルを手にしました。
その結果、「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」としてロンドンで表彰。ウメハラ自身は「ゲームに対する世間の目が変わればいいな」と話し、実際に周囲からの目はこのときから変わり始めたとも語っています。
2016年6月には『Twitch』のグローバルアンバサダーにも就任。『Twitch』とは世界最大規模のライブ配信サイトで、ゲームに特化しているものです。その後、5月にレッドブルとスポンサー契約を結び、日本人2人目となるレッドブル・アスリートに。すでにスポンサー契約を結んでいた『Mad Catz』とはアライアンスパートナーという形式になりました。
2017年には新たにいくつかの会社とスポンサー契約を締結。その中で『Cygames』とはチーム『Cygames Beast』を結成し、チームでの活動もスタートさせました。
プロとなった後には1日の大半をゲームに充てる生活を送っていましたが、体調管理などの面を考慮し、よりプロとしての生活を意識するように。一般ゲーマーの模範ともなることを考え、ウォーキングやジムにも通うようになったといいます。さらに2017年頃には、やや太ったことを指摘されることが増えたため、禁酒などでダイエットを決断。現在では再びスリムな体型となっています。
趣味は散歩とゲームから離れることで、考え事をしたいときに自宅周辺を歩くといいます。つまり考え事をしながら歩いており、ゲームと同じくらい集中しているかもとも話します。
ゲームでのプレイスタイルはアグレッシブそのもの。好戦的なスタイルから、海外では「The Beast(野獣)」とも呼ばれるようになりました。型にはまらず、とにかく強さを求めるストイックな姿勢こそ彼の最大の武器でもあります。すべての能力がMAXと評価れたこともあり、緻密な相手の攻略、正確なテクニックと呼べる域を超越した業、一方で動物的な勘なども備え、多くの人々をそのスタイルで魅了してきました。常々「成長することが勝利」とも語っており、飽くなき勝利への渇望で日々成長を続け、さらにゲーマーとして重要な経験も備えるため、まさに最強の名をほしいままにしています。
韓国初のプロゲーマーとなった「インフィル」はウメハラについてとにかく慌てないと称しています。相手を過度に意識することなく、自分のスタイルをどんな戦いでも発揮する姿に感嘆の声を上げており、まさにストリートファイター界では生きるレジェンドであることを認めています。
ゲームの現在の練習量に関しては一日5~6時間。かつては10~12時間など取り憑かれたように練習をしていたそうですが、現在は他の仕事があるため、それくらいに抑えているようです。また、練習場所についてはゲームセンターや自宅など様々。そのときに磨きたいスキルに合わせて、場所を選ぶそうです。
また、自身の美学や哲学を語った書籍も発売。ラジオやテレビ出演などメディアにも積極的に露出し、大学・専門学校などでは特別講師として招かれた経験も持っています。ウメハラの活躍を描いた漫画『ウメハラ FIGHTING GAMERS』もヤングエースアップから発売しています。漫画ではウメハラとライバルであり、もう一人の天才大貫に焦点を当て、格闘ゲームで頂点を目指す戦いを描いています。
現在は自ら企画し、「獣道」と呼ばれるイベントも開催。10本先取という長期戦による大会で、賞金や副賞はなく、プライドのみを懸けたタイトルということで、ファンからは注目を集めています。この大会を開くことになったきっかけは、ごまかしようのない真剣勝負の場を作ることが目的だったようで、だからこそ10本先取という長期戦の設定になっています。
すでに獣道は第2回大会まで開催され、ウメハラはどちらにもプレイヤーとして参加しました。獣道弐では、ときどがウメハラに敗れて号泣する姿も話題に。それでも、ウメハラは「自分のほうが負けられなかった」と話し、ときどに刺激されて取り組みを改めたことも明かしています。
2016年2月にスタートさせた『Daigo the BeasTV』では、ゲームに限らず様々な番組が行われています。ウメハラの近況報告の場となっていることで知られますが、ゲストとの対談による「ウメトーク」や格ゲーのど自慢大会やコスプレ限定大会などユニークなイベントが開催。上記の獣道もこれらのイベントの一つです。
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生年月日 | 1981年5月19日 |
愛称 | ウメハラ、ウメ、ウメさん、Daigo, The Beast |
拠点 | 日本、アメリカ |
所属会社 | Cygames |
所属チーム | Cygames Beast |
得意タイトル | ストリートファイターシリーズ、ヴァンパイアハンター |
プレイスタイル | アグレッシブ |
主力にするゲームは?使用するキャラクターと好むキャラ

出典:ファミ通
主力ゲームとしているのは『ストリートファイター』シリーズや過去には『ヴァンパイアセイヴァー』など。積極的に動くことが有利に働き、プレイヤーに消極的な戦いをさせないようなシステムとなっているゲームがお気に入りでもあると明かしています。
ストリートファイターに初めて出会ったのは11歳の頃。それがきっかけでゲームセンターに通うことになったとも話しています。現在、大会に参加するのもストリートファイターシリーズのみ。その理由については賞金総額やスポンサーの多さなどが影響していると話しており、自身も得意としていることから1本に絞ったようです。他のゲームに興味を示すこともあるそうですが、「プロゲーマーとして自分がやるべきか」と問いかけることも忘れていないと話しています。
使用キャラはリュウなどいわゆるスタンダードなキャラクター。同時に飛び道具を持つキャラクターも使いこなします。その裏には「極端に相性の悪いキャラがいない」こと、「おあな痔キャラ同士での対戦も面白い」ことが哲学としてあり、相性が激しい一点特化型のキャラクターは選ばない傾向にあるようです。そのため、スタンダードなキャラや自ら試合を動かすことのできる飛び道具持ちキャラを積極的に使うようになりました。
一方で、高いゲームセンスを備えているため、格闘ゲームに関してどのキャラクターを使っても力を発揮します。その裏付けとして『ヴァンパイアセイヴァー』では全キャラで連勝記録200を打ち立てたという伝説もあるほどで、『ストリートファイター』においてもメインのキャラをユンに変更し、ファンなどを驚かせることもありました。
先読み能力や反応速度、操作技術などは他の追随を許さないレベルで、何よりの武器は精神力と言われています。その集大成となったのが、後述となる「背水の逆転劇」であり、格闘ゲームに詳しくないプレイヤーでもウメハラのファンとなる人々は少なくありません。
個人的に好きなキャラクターは、 リュウやガイルなどを挙げており、見た目からして強そうなキャラを選ぶ傾向が強いようです。一方で、華奢な女の子のキャラは苦手であるとも話しています。
また、格闘ゲームに関して自身の名前の就く「ウメハラ持ち」や「ウメ波動」、「ウメ昇龍」といった技があることも有名です。ウメハラ持ちは特徴的なジョイスティックの持ち方で。独特なはさみ方によって、限界まで入力のロスをなくしているといいます。ウメ波動やウメ昇龍はストリートファイターでのウメハラの独自の技の出し方。相手の動きを予測し、使い方を分けているというもので、それもウメハラの経験値の高さが可能としています。
ウメハラの使用するデバイスは?
現状では、残念ながらウメハラの使用するデバイスの詳細は明らかにされていません。
一方で、『Mad Catz』や『HyperX』など、ビデオゲームやパソコンの周辺機器メーカーとスポンサー契約を結んでいるため、これらの会社が発売するキーボードやヘッドホンを使用していることが濃厚と言えそうです。
デバイス | メーカー | 機種 |
PC | ||
モニター(左) | ||
モニター(右) | ||
マウス | ||
マウスパッド | ||
キーボード | ||
ヘッドセット | ||
WEBカメラ | ||
アーケードコントローラー |
輝かしすぎるウメハラの戦績
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出場するほとんどの大会で優勝候補となるウメハラは、1997年に『ヴァンパイアセイヴァー』の全国大会で名を挙げました。翌年には『ストリートファイターZERO3』の全国・世界大会に参戦。このろきは関東地区予選の決勝で敗れています。しかし、同年に行われた全国大会では優勝。さらに日米決戦「STREET FIGHTER ALPHA3 WORLD CHAMPIONSHIP」においても全米大会優勝者アレックスを相手に勝利を収めて世界一となりました。
2000年には『カプコン バーサス エス・エヌ・ケイ ミレニアムファイト 2000』に出場し、優勝。こちらの日米決戦でも『ストリートファイターⅢ 3rd STRIKE』部門で代表となり、アメリカの選手たち4人を負かしています。
2003年には日本の格闘ゲーム界を代表する大会である『闘劇』に参戦。複数のゲームタイトルで優勝を収めました。2004年に参加したアメリカの大会『Evolusion』では『ストリートファイターⅢ 3rd STRIKE』のルーザーズ決勝において「背水の逆転劇」と呼ばれることになる戦いを披露し、一躍世界に名を轟かせ、称賛を受けました。「背水の逆転劇」とはアメリカのジャスティン・ウォンの春麗と対戦した際、体力がほぼゼロの状態から逆転勝利を収めた試合を指しています。
注目すべきは第1試合の第3ラウンド。ジャスティンが使う春麗がウメハラ操るケンの体力を徐々に減らしていき、撃破まで残りわずかというところまで追い詰めます。春麗の技をガードで防ぐと、体力が完璧にゼロとなり、ウメハラが敗れてしまうという状況で、唯一の抜け道となったのは“ブロッキング”。非常にシビアなタイミングでの成功が求められるブロッキングという特殊行動ですが、ウメハラは春麗の攻撃をすべて完璧に捌き切ります。しかも、多くのギャラリーがいて、一度もミスが許されないという状況下でやってのけたウメハラの精神力は特に称賛を集めました。
本人は当時「盛り上がってよかった」と話すなどあっけらかんとした態度を見せていましたが、後に「動画に残ったことは大きかった」と語っています。映像にされたことで、世界中のゲームファンが目にし、ウメハラの存在を有名としました。「サインを求められるようになった」とし、「プロのオファーをもらえるきっかけになった」と人生のターニングポイントになったことも明かしています。さらに、ギャラリーがいて音がほとんど聞こえない状況だったからこそ、成功できたとも振り返りました。
この戦いは一部海外ゲームネットサイトで「プロゲーム史上最も記憶に残る試合」として1位にも選出されています。また、メディアにも度々取り上げられており、テレビ朝日の『マツコ&有吉の怒り新党』では「新・3大アーケードゲームのスゴイ職人技」にも選出。「5秒間の奇跡」と伝えられ、この動画の再生回数はギネス世界記録ともなりました。後の2014年には、ジャスティンとのエキシビションマッチにて「背水の逆転劇」を再現し、多くのファンを喜ばせました。
2005年にはライバルであった大貫とタッグを組んで「闘劇」に参戦。タッグ名は「ウメヌキ」で、『ストリートファイター3 3rd STRIKE』部門で見事優勝を収めました。2007年には久しく大会には参加していなかったタイトルである『ヴァンパイアハンター』の部門で『Darkstalkers Combination Cup (DCC) 』の第2回大会に出場。こちらでも優勝を収め、現役のプレイヤーたちに大きな衝撃を与えました。このときの使用キャラはパイロンでした。2008年からは、後にタイトルを獲得し続ける『ストリートファイターⅣ』のプレイを開始。ゲームセンターで同タイトルが稼働した直後からプレイし続け、勝率は驚異の90%以上を記録。2008年の通算バトルポイントは圧倒的な総合1位となり、いまだ腕に衰えがないことを見せつけています。
2010年にはプロゲーマーとなりますが、その直前の「Evolution」通称「EVO」で2009年大会と2010年大会で連覇。世界一を決める大会での偉業で、当時すでにアメリカでプロゲーマーとなっていたジャスティンやリッキーを下して頂点に立っている。
以降は、以前に比べて大会に参加する回数が減少。スポンサー契約を結んだことで、賞金などに頼らず生活できるようになったことが影響しているとみられます。それでも、2011年には「EVO 2011」のスーパーストリートファイターⅣ部門で4位とまずまずの成績を残しました。
主要大会で大きな結果を残すことが減ったウメハラですが、海外の比較的小さな大会などでは優勝を収め、2018年にも「EVO Japan」で3位と確かな結果を残し、腕が錆びついていないことも証明しました。
また、2015年には「プロゲーマー連合軍」のリーダーとして、10年のブランクがあったギルティギアシリーズの大会に乗り込みました。相手はギルティギアを専門とするプレイヤーたちで構成される「ギルティギア王者軍」で、この電撃参戦は大きな注目を集めました。
さらに、その相手がギルティギアシリーズの絶対王者となっていた小川だったことも、ゲームファンを熱狂の渦に巻き込みました。ウメハラは最初の2戦で見事な対策を見せつけ、小川を退けます。しかし、その対策に対応した小川が結局はその後3連勝し、逆転勝利を収める結果に終わりました。ウメハラは試合後、この大会のために多くの練習をしたことを明かし、機会があれば再びギルティギアシリーズの大会に参加することも匂わせています。
こうしたウメハラの姿勢に仲間も感嘆の声を挙げ、ギルティギア専門に対応するのではなく、あくまでも格闘ゲームとして勝ち続けるための対抗策を準備した戦いぶりには拍手が送られました。
年 | 月 | 戦績 |
2010 | 3 | World Game Cup 2010 ストリートファイターⅣ 個人戦準優勝 |
2010 | 3 | World Game Cup 2010 ストリートファイターⅣ 団体戦優勝 |
2010 | 7 | EVO2010 スーパーストリートファイターⅣ 優勝 |
2010 | 9 | 闘劇10 ストリートファイターⅣ 準優勝 |
2011 | 1 | 闘劇11 スーパーストリートファイターⅣAE ベスト4 |
2011 | 8 | EVO2011 CASINO CUP(アメリカ) スパ2X 優勝 |
2011 | 8 | 綾野杯5on5 ストリートファイターIV 優勝 |
2012 | 7 | EVO 2012 スーパーストリートファイターII X 4位 |
2012 | 10 | ストリートファイター25周年 公式全国大会 格闘秋祭り スパ4AE2012部門 優勝 |
2012 | 10 | ストリートファイター25周年記念世界大会決勝 スパ4AE2012 準優勝 |
2013 | 2 | K.O. FIGHTING GAME FESTIVAL スパ4AE2012 優勝 |
2013 | 8 | HK Esports Tournament(香港) ウル4 優勝 |
2014 | 10 | ウルトラストリートファイターIV 賞金制全国大会 一秋千撃杯 3on3部門 準優勝 |
2014 | 10 | 第4期 TOPANGAリーグ ウル4優勝 |
2015 | 11 | Canada Cup 2015 The Masters Series ウル4 優勝 |
2015 | 12 | Capcom Cup 2015 ウル4準優勝 |
2016 | 12 | Red Bull 5G 2016 FINALS スト5優勝 |
2017 | 7 | Abuget Cup 2017 スト5 優勝 |
2017 | 12 | Capcom Cup 2017 スト5 7位 |
2018 | 1 | EVO Japan 2018 スト5AE 3位 |
ウメハラがお金以上に重視する“ワクワク”
プロゲーマー・ウメハラの魅力がいくらか伝わったでしょうか?
まだまだ日本ではeスポーツは広く知れ渡っておらず、プロゲーマーと呼ばれる人々も海外に比べると、決して多くはありません。ただ、「ゲームが強いだけ」、そう思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、一方で世界に目を向けると、eスポーツが2024年にはオリンピックの競技になる可能性もすでに報じられています。
ウメハラ自身、そうしたeスポーツに関する認知度の低さを理解しているため、ギネス記録なども好意的に受け取りました。ウメハラはすでにプロゲーマーとしての活動だけでなく、Twitchのグローバルアンバサダーになるなど、活動の幅を広げています。一部では「プロゲーマーとしてゲームに専念するべき」とも言われていますが、ウメハラは幸せの価値観は人それぞれであると話し、ゲームを続ける理由についてこのように話しています。
「自身のアイデンティティで、自分を支えているのが格闘ゲーム」。それほどまでに誇れることがゲームだと話します。やらないことが自分の人生で大きな損失と考えているということです。すでにゲーマーとしてはとてつもなく大きな額を稼いでいるウメハラですが、そうした考えの根本は変わらないといいます。また、eスポーツにはプロライセンスも存在しますが、ウメハラは配信で独自の観点で語っています。
話したことは、プロライセンスがワクワクするかどうかという部分。ウメハラはすでにライセンスの前に食べていけることを強調した上で、あったらどうなってしまうのかというワクワク感を重要視し、その中であまりライセンスは価値のないものとなっているといいます。一方で、eスポーツが日本の売りとして堂々と胸を張れるようなものになればいいとしました。
それでも、プロライセンスそのもののシステムに反対しているわけではなく、ライセンスを整理することに尽力している人たちの「邪魔にはなりたくない」としています。さらには、プレイヤーや大会運営が一丸となり、日本の若者たちがワクワクできるような国に、そうしたことを手助けできるような仕事をしたいと力を込めました。
すでにお金の問題ではないとゲームについて語り、「小銭を稼ぐためにeスポーツに入ると辛いと思います」と自身の後を追ってくる若者たちに金言を授けています。お金も重要であるとしながら、「それだったら普通に働くだけでもいい」とするウメハラ。だからこそ、プレイヤーたちの頑張りが評価されて「国が活気づいたら気持ちがいい」とも話します。つまりお金を多く稼ぐためにゲームをやるのではなく、ゲームが好きだから、生きがいだからプレイするという人のみがウメハラの地位まで上り詰めることができるのかもしれません。
実際、ウメハラも一度はゲームの世界から離れて介護の職に就いていました。しかし、結局は自分の能力に気づいたことで、自身の生きがいとも呼べるものを取り戻しました。すでにウメハラにとって「ゲーム」と一言で片付けていいものではなくなっていることは間違いありません。
ウメハラが認める通り、日本はまだまだeスポーツへの認知度が低く、発展途上だといいます。勢いも他の国に劣ります。だからこそ、ウメハラは日本を活性化する方法を本気で考えて、番組などのメディアに露出し、プロゲーマーとしての活動を続けています。
まだまだ「たかがゲーム」という意見も少なくないこの業界。それでもウメハラのように人生を懸け、生きがいとしながら、eスポーツを生業としている人々も多くいます。お金稼ぎの一つの方法というだけでなく、彼らが人生を懸けて戦っているということを念頭に、ゲーム観戦をしてみると、見方も少しは変わるかもしれません。